大楽

書き残しておきたいことが先にあって、ブログを作ってみましたが、その後が続きませんでした。

 

若いというだけで重宝して頂けるのが俳壇ですので、私にも句集を送ってくださる方がいらっしゃいます。

句集という形に結実したものは、いずれも面白く、書きたいことが増えてきてしまいます。

全て手書きにしていましたが、筆不精が祟って、どうしても言い尽くせません。

折角なので、こちらに感想文を残しておこうと思います。

 

大楽

作者は「轍」主宰の大関靖博先生。略歴を見ると1948年生れ、俳句を始めたのは1960年とのことです。

私も十二歳で俳句を始めたので、ちょっと親近感が湧きました。

この句集はタイトル通り、「大」と「楽」を感じさせる句集でした。

大きい

 登高や下界に過去の全てあり

「登高」は難しい季語です。現代で実践している人は少ないでしょう。

季語の本意を踏まえつつ、作者の実感をどこに見出すかが、困難な季語だと思います。

この句は「下界に過去の全てあり」と、浮世から離れた感覚を見せています。

「登高」という季語はこうやって使うのかと、はっとさせられた一句です。

 絶景は心にありて霧の中

テレビ番組であれば残念な映像ですが、俳句であれば見事な景色となります。

絶景をそのまま褒めようとすると、十七文字では足りなくなりますが、見せないことで、十七文字で言い切っています。

秘すれば花」の一句です。

 天に交はる両岸の花吹雪

文句なしに美しい句です。

やっぱり俳句は発句を出発点としているので、こういった「雪月花」の良い句が入っていると、安心感が違います。

 

気楽

 全身を風に預けて浴衣かな

 風鈴の耳に眩しく響きけり

どちらも涼しげな句です。

技巧を凝らしたというよりは、基本に忠実な佳句だと思います。

すぐに習得できる簡単な技法でも、きちんと使いこなせばこのように良い句が詠めるので、俳句は面白いです。

 

楽しい

 空蟬といふ飴色の木乃伊かな

木乃伊(ミイラ)という比喩で勝負した一句です。

ミイラやガイコツは不気味なイメージを持ちます。

しかし、飴色のミイラと言われると、何だか変につやつやしたような感じがして、不気味さを感じませんでした。

よくこんなこと思いついたな、という発想の楽しさを味わえる句だと思います。

 新豆腐舌の上にて力抜く

豆腐は器の上では四角四面の形をしています。匙に掬っても、こんもりとした形を保っています。

それが、舌に乗せた瞬間、ふわりと溶けたのでしょう。

口の中に入れるまでの新豆腐の張りつめた様子と、舌の上で溶けだした様子から、この豆腐の美味しさが存分に想像させられます。

 鶏頭の影が月下を歩みだす

半年くらい前、李白の「月下独酌」を読んで感動しました。(出会ったのが Civilization6 というゲームの中でしたが……)

この句を読んだとき、真っ先に「月下独酌」を思い出し、その時と同じ感動が湧き上がってきました。

私が言っても何の信頼性もありませんが、この句は李白と並んでいると感じました。

 

無常観

 逃水や我に追ふ気のある限り

 とりあへず昼寝で浮世離れけり

特に二句目には度肝を抜かれました。こんな「とりあえず」があるのかとびっくりしました。

ただし、無常観に寄りかかりすぎな句もあり、それが嫌だという人もいることでしょう。(五年前くらいの私がそうでした。)

例えば、<散るためのただ散るための櫻かな><輪廻より解脱を果たす蟬の殻>です。

今もあまりストライクゾーンではありませんが、「あってもいいかな」とは思っています。

本当にこういった句を理解できるのは、七十代を超えてからであり、今は楽しめなくても仕方ない、と諦めています。

 

年数をきっちり重ねた俳人の凄さを味わえる、良い一冊だと思いました。

生ぜしも死するもひとり

6/2(土)に開催された須賀川俳句の集い2018に講師として参加してきました。

 

須賀川俳句の集い概要】

・地元結社の桔槹吟社が主催して、開かれている会です。
・東北大震災を期に始まった会で、地元への貢献の一つとして、開かれています。
・毎年、若手俳人を講師として読んでいます。今年は私でした。
・近隣の高校の文芸部に声をかけ、今年は約40名ほどが参加しました。

須賀川俳句の集いでは講師として、90分の講演を依頼されました。
色々考えたのですが、私の俳句観など90分も高校生に聞かせては、絶対に眠くなるので、高校生とディスカッションする形式にしました。
(´-`).。oO(話術が足りないのも誤魔化せるし)

 

「名作を攻めてみよう」ということで、最近の俳句を高校生と一緒に攻める企画を立ててみました。
本当は虚子とか秋櫻子とか、今では「古典」の名作も攻めたかったのですが、時間が足りませんでした。

 

【一句目】

 生ぜしも死するもひとり柚子湯かな
 
 ※高校生の素直な意見を聞きたいので、作者名は最後まで伏せました。
 

◇良いところを聞く

俳句を攻めるとき大切なのは、作者が何をしたいのか、共有することだと思っています。
例えば、「芸術は爆発だ」という信念を持っている人がいたとして、この人が俳句を攻めたとします。

 

桐一葉日当りながら落ちにけり 高濱虚子

 

「この句はぜんぜん爆発していない。却下!」と攻めてもしょうがないと思います。
作者は爆発する気がありませんからね。水掛け論になるだけです。
一度自分の信念は脇においておいて、作者の意図に寄り添ってみて、その上で駄目なポイントを指摘するのが、良いと思っています。
(´-`).。oO(やっぱり、どうせ議論するなら建設的にしたいですよね。)

 

この句も、まずは良いところを聞いてみました。
・「生ぜしも死するもひとり」というフレーズが深い
・柚子湯の温かみによって、「生ぜしも死するもひとり」の寂しいフレーズが救われている。
・暖かい気持ちになる一句。
私の記憶があやふやですが、概ねこんな意見が出ました。私も沢山頷いたのを覚えています。
中には
「作者はお年を召された方で、たぶん女性で、今は独り身の方だから、このような句を詠んだのではないか。」
と、鋭いプロファイリングをしてくれた女子高生もいました。

 

◇攻めてみる

では、本題です。「この句は悪い句だ。」と思い込んでみたとき、どの辺が悪いと言えるでしょうか。
・この人は今、何をやっているのか分からない。
 →柚子湯に入ってはいるのでしょうが、それ以上の景の想像が膨らまない。
・「生ぜしも死するもひとり」というのがよく分からない。
そうですね。私も攻めるとしたらこの辺だと思っています。この句の一読時点での弱点はフレーズだと思います。
私は『ルバイヤート』を思い出しました。
「この世は仮の物」だの「命は儚い」だの、一冊まるごと同じことの繰り返しで、申し訳ないのですが、私には面白みが分かりませんでした。
(´-`).。oO(その点、『バガバットギーター』は日本語で読んでも面白いのは偉大です。私は日本語でしか読めないのですが。)

「生ぜしも死するもひとり」というフレーズは一見凄そうですが、宗教的なテーマとしては、人類史上常に語られてきた死生観です。
ここに作者のオリジナリティは出ていないと思います。

 

◇議論の焦点

しかし、俳句で一番大事なのは季語です。
フレーズがどんなに駄目でも、季語さえ決まれば名句になりえます。
むしろ、面白すぎるフレーズはそれだけで完成してしまって、季語の面白さと上手く馴染まないことがあります。
この句の場合、「柚子湯」を面白いと思えるか、作者らしい感性と思えるか、によって判断が分かれると思います。

 

◇季語に何を選ぶか

一緒に参加されていたご婦人にお聞きすると、
「私はとても分かるわ。独り身だから。」
という答えが返ってきました。「柚子湯」があることで、「生ぜしも死するもひとり」が既成の死生観ではなく、この読者の実感として響いてきたのでしょう。
「柚子湯」の賛成意見も多かったのですが、反対意見もありました。
・柚子湯では温かみが出てしまう。もっと冷たい季語がいい。
 →例えば「凍蝶」「枯木立」などでしょうか。思いっきり「無常観」の方向性に舵を切る詠み方ですね。
・寂しすぎるので、明るくしても良いと思う。
 →お風呂の季語でいえば、「初湯」などでしょうか。句に華やかさが出てきますね。
他にもいろいろ案が出てきました。

 

◇私の考え

フレーズを見た時の俳人がまず思いつく選択肢は、寒さの中に温かみのある季語でしょうね。
やはり「柚子湯」は無難な選択であると思います。
真正面から付けた季語で、「妥当な成功」をしています。
季語を選ぶのは本当に難しいので、じゃあ私が「妥当な成功」以上の成功を常にしているのか、と問われると返す言葉もないのですが……。
ただ、私、二十五歳の人生経験では、「柚子湯」程度の正解では、「生ぜしも死するもひとり」を理解するには至らなかったのも事実です。
これから年を取ったら分かるようになるでしょうか。

ちなみに、現在の私が勝手に考える最善手は

 

生ぜしも死するもひとり浮いてこい

 

です。フレーズに実感を込める方法が思いつかないので、お茶を濁してみました。

 

◇名明かし

この句の作者は「瀬戸内寂聴」です。句集『ひとり』に収録されています。
句集『ひとり』は星野立子賞を受賞するくらいですから、良い句集です。
尼僧らしい無常観を、巧みに表現しています。「人生経験がものを言う」とはこのことなのでしょう。
しかし、私のような心得違いの者からすると、「遊び」が足りないように思いました。
季語のつけ方がどれも実直で、作者本来の爛漫さが表れていないように思われるのです。
「浮いてこい」とふざけたくなったのも、その辺が理由です。

ブログ開設

はじめまして。

ブログを開設してみました。

 

SNSがあまり好きではないのですが、少し思うところがあり、開設してみました。

知り合いの皆には何も言っていないのですが、いつか気付かれるのでしょうか。

 

どのくらいやったら気付かれるのか、気になっています。

(気付かれるまで続けられるかも心配ですが。)